午前3時の暴風警報

寝言がほとんど

愛嬌の債務超過

大体10年くらい、愛嬌だけを武器に生きている。

もともと、中学生くらいは思春期反抗期真っ只中で、そんなもの特に持ち合わせてはいなかったけど、高校生くらいから少しずつ身に着けてきた。

 

きっかけは、アルバイト先のパートさんの一言。

「若いうちは笑っておけば大体どうにかなるのよ」って。

 

そこから、笑顔だけはどうにかこうにか頑張った。

要領は相変わらず悪いけど、いわゆる愛想や愛嬌によって救われたり、褒めてもらえたりすることが増えた。

 

ちょうどその頃、ももいろクローバーZが好きで、アイドルの笑顔は特に参考にした。

写真での写り方もそうだし、接客する時の自分はアイドルなのだと思い込んで仕事をした。

 

大学時代のアルバイト先でも、笑顔とハキハキした声だけは意識した。

よく通る声というのも幸いした。

ほとんどのスタッフに対して無愛想で、みんなが苦手だというお客さんにも、何故か心を開かれた(私以外にも二人くらいいたけど)。

 

いよいよ就活が始まった時は、さすがに愛嬌以前の部分でたくさん落とされた。

でも、どうにかこうにか拾ってくれる企業もあった。

今いる会社もそう。あまりに企業分析などを怠っていたため、多分愛嬌だけで採用された。

根拠はないけど、面接中なのに、知らない業務内容について教えてもらう時間があった。愛嬌重視の弊社で助かった。

 

そして社会人になっても、愛嬌におんぶにだっこ。

幸い、愛嬌が仕事するような仕事に就いているので、愛嬌しかない私にとってはある意味天職だ。

癖のある人も、どうにかこうにか向き合ってきた。なんとか爆弾を爆発させずに、次の担当へ引き渡した。

 

でも逆に愛嬌しかない自覚があって、時々危機感を覚える。

愛嬌は一生使えるとは思うけど、どこかでその価値は半減する。歳を取れば取るほど、相手がこちらに期待するものは大きくなる。偉い人のように錯覚されることもある。

 

愛嬌があって、ヘラヘラしているのが上手でも、綻びがある。

悪気がなくとも、人の気分を害することがある。

そりゃ他人なのだから、自分以外の価値観はわからないけど、私は多分人のそういう部分に鈍感なところがあり、鈍感な自覚があってもなかなか気付けない、といったところが、人付き合いをする上で致命的。

 

そういう性質を治したくても、何がどうだめだったか気付けてないみたいな時が多すぎて、最近は少し考えるのを諦めてるところがある。

よくないけど、考えすぎると心を崩すので、諦めた。

 

そんなこんなで、愛嬌がよくっても、コミュニケーションが結局下手くそなのだ。

下手くそな自覚があるから、ぶっちゃけコミュニケーションしたくないまである。

なので、愛嬌だけの生活をそろそろやめたいのである。

 

手始めに仕事をやめたい。

といっても、転職してもよくなる保証はないので、なかなか動けてはいない。

そもそも生きるのにはお金がいるし、色々考えると案外難しい。

 

やめたってどうにかこうにかは生きていけると思う。

でも、それが本当に正解である保証はない。答えは死ぬ間際までわからないのだから、軽々しくやめちまえ、なんてもう言えない。

 

来世はロボットみたいなコミュニケーションで食っていける仕事がいい。

細かいすり合わせとかしたくない。

でも給料下がったり、休みが減ったりするのも嫌なのである。

ワガママなんだぁ。

 

どれもこれも、愛嬌だけで生きてきたツケかもしれない。

愛嬌は必要だったかもしれないが、なんかもっと人としてどうかするべきだった。もう少しうまくやれたんじゃないかと。

まだ一応若いと思うので、やり直しも効くんだろうけど、本当に?どうやって?不安ばっかり。

 

ていうか、やりたいことがあったら、多分清水の舞台から飛び降りる勇気はあるんだけど、それがない。

特定の好きなものとか、欲しいものとか、したいこととか、もうここ数年ずっとわからない。

実は、何かに熱中している人、夢がある人がうらやましくて仕方ないのだ。

 

なんていうのも全部遠吠えみたいなものだ。

何らかの努力を怠って、愛嬌に全振りした私の借金。

それの取り立てが始まる予感がしている。

最悪の気分だ。

 

30歳になるまでには、この愛嬌融資の債務超過をどうにかしたい。

それにはまず、返済計画を立てないといけない。

考えるだけで億劫。頭かかえてる、毎日。

 

ひとまず、しばらくはいろんなものを遠回しにするために、歌詞を書いて茶でも濁そうと思う。

最悪だとは思うけど、これだっていつまでも書けるとは限らないのだし、使える先延ばしは、使い切らすまでは使っていきます。

 

徒然。